アートアクアリウムに疑問を抱く

雑記帳

最近、ちょっとしたブームになっているのがアートアクアリウムなるもの。

 

 

ただ、モフチョ的にはどうしてもこの手のアートは好きになれない。

魚の受けるストレス

生き物を扱わないアートアクアリウムならば話は別だが、生き物を「玩具」の如く使った展示物にはどうしても嫌悪感を感じてしまう。何故ならば、その金魚達がその後どのような運命を辿るのかがまるで解らないからだ。

きっと、この部分は誰もが疑問を抱いている事なんじゃないだろうか。

……というよりも、その後がどうなるのであれ、まず、あのド派手な電飾で彩られた、おおよそ金魚飼育には向かないであろうへんちくりんな水槽に、生きている金魚を放り込むという事自体が問題のような気がする。

 

 

金魚に限った話では無いが、移動するだけで多くのストレスを抱えてしまう魚にとって、あのようなド派手な水槽にぶち込まれたら、いったいどれほどのストレスを受けるのかは、きちんと金魚を飼育している人にしてみれば答えは明白。十中八九が「なんて酷いことをするのか」と感じているはずだ。

 

人々の反応

ただ残念な事に、多くの人々はアートアクアリウムの事を単純に「奇麗」とか「幻想的」程度にしか感じない。客寄せパンダと化している金魚の「生命」について考えている人は、ほとんどいないのが現状だろう。

だからこそブームになっているわけで、つまるところ「生命」なぞ二の次三の次にしか考えていないのである。なんとも薄っぺらな感受性なのか、考えただけでゾッとする。

いくら観賞魚だからといって、その扱い方には限度はあるだろう。金魚とて人間とおなじ「命ある生き物」なのだから、きちんと飼育することこそが本筋であり道理。飼育環境をまったく無視するだけでなく、ただ人間の欲望やエゴを満たし、時にはビジネスの道具として生命を扱うアートアクアリウムは、見ているだけで不愉快極まりない。

 

命が軽んじられた結果

どうしてこんなアートアクアリウムがもてはやされてしまうのか、それは現代に生きる人間が「生命」の重みや大切さを十分に理解していないからなのだとモフチョは考えている。

ただでさえ魚を飼育する事自体が人間の「エゴ」なのだから、それをこんな形にしてまで表現しようとするのか、本当に理解に苦しむ。いったい、こんなものを考えた奴はどういう神経をしているのだろうか……。

アートアクアリウム。それは、命を蔑ろにさせてしまう、人道的、そして倫理的に考えるととても危険極まりないイベントだ。

モフチョ個人的には、このようなイベントがこれ以上エスカレートしない事をただ願うばかりではあるが、機会があれば、このイベントを主催している側に対して、是が非でも金魚達の行く末を問い詰めてみたいと考えている。

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Posted by ドン・モフチョ